講師紹介

高塚勝久​

おうちで英語.com代表

おうちで英語.com講師

学歴&職歴

1979年 静岡県立磐田南高等学校卒業

1984年 東京農業大学農学部農業拓殖学科卒業(在学中に1年間派米農業実習に参加)

1991年 オプネット英語学院 子ども英語教育セクション設立と共に、代表就任

2010年-2015年 株式会社オプネット 代表取締役

2016年 株式会社ライトハウスエデュケーション取締役会長就任(オプネット英語学院の運営がライトハウスエデュケーションに移行)

2018年 株式会社ライトハウスエデュケーション取締役会長並びにオプネット英語学院代表退任

2015年-2020年 株式会社mpi松香フォニックス教育事業部本部長

 全国各地の教育委員会、小中学校並びに民間英語教育機関を対象に英語教育コンサルティング業務に取り組む。

2020年3月 株式会社mpi松香フォニックス教育事業部本部長退任

2020年5月 株式会社TAK設立、2021年3月よりおうちで英語.comの運営開始

 

その他経歴

2001年 一般社団法人磐田青年会議所理事長

2011年-2020年 一般社団法人磐田国際交流協会会長

2012年 静岡県立磐田南高等学校PTA会長

2013年-2015年 静岡県西遠女子学園PTA副会長

2013年-2018年 静岡県公立校等学校PTA連合会副会長・顧問(2017年全国高等学校PTA連合静岡大会副実行委員長)

私と英語教育

少々長くなりますが、私の経歴にご興味をお持ちの方はお付き合い下さい。

派米農業実習

静岡県立磐田南高等学校を卒業した私は、東京農業大学へ進学しました。子どものころに見たTV番組の影響でアメリカの大平原に憧れ、アメリカでの農業を体験したいと思い、派米農業実習制度を有する東京農業大学を進学先に選んだのでした。

派米農業実習に参加したのは大学3年を終了した1983年の事でした。一年間休学し、実習から帰国後に最終学年を過ごし、卒業するといった流れです。

派米農業実習は自分にとっての修行と位置付けていましたので、最も過酷と言われたミネソタ辺りの家族経営の肉牛農家を希望したのですが、決まった派遣先はカリフォルニアに在るそこその規模の乳牛・肉牛の農場でした。

農場のアメリカ人、メキシコ人労働者の多くは広い農場の中に住んでいて、私も家を与えられ、自炊生活を始めました。

週に一度ボスの奥さんの運転で30キロほどの距離にあるスーパーに買い出しに連れて行ってもらいました。

行き帰りの車中では、極力奥さんと会話をするように努めました。

黙っていたのでは失礼だと思ったからです。

高校時代熱心に英語の勉強をしなかった私ではありますが、どういうわけか英語の成績と英語を使うことは別という意識があり、限られた語彙を駆使してのコミュニケーションではありましたが、英語を使うことに喜びを感じていました。

英語圏で暮らしたことがある人皆が経験していることと思いますが、最初は全く聞き取れなかったり、話すときも日本語を英訳したりしていましたが、毎日英語漬けになっているといつの間にか英語で考えている自分がいることに気付きました。

夢も英語で見たりするのです。

英語の習得には英語の環境に身を置くことが、最も効率的であることを実感した次第です。

大学の同期で派米農業実習に参加した仲間は約30人。

全米各地で野菜、果実、花卉等、様々な農業の実習を行っていました。

日系人が経営する農場も多くありましたが、私の農場はボスがアメリカ人ですからコミュニケーションには英語が必須です。

またメキシコ人労働者も多く、スペイン語を使う機会に恵まれたことは幸運でした。

さて派米農業実習をコーデュネイトしていたのがサンフランシスコに事務所を持つIFAA(International Farmers Aid Association) でした。農業実習生は就労目的ではありませんから賃金を貰うことはできません。

しかし農場経営者はIFAAにコーデュネイト費用を収め、IFAAはその費用から実習手当として月額320ドルを各実習生に支給してくれました。

当時は1ドルが250円でしたから80,000円ほどの月収という感覚でした。

自炊費用の他はお金を使う機会もないため充分な収入でした。

毎月実習生は実習レポートをボス経由でIFAAに提出する決まりになっていました。

実習生のほとんどは日本語でレポートを書いていましたが、私のボスはアメリカ人ですし、日本語でレポートを書くことはボスに対して失礼であると考え、私はレポートを英語で書くようにしていました。

それは私の英語力向上にも役立ったと思います。

英語でレポートを書いていたことが思わぬハプニングを招くことになりました。

一年の実習期間中に3回の合同研修があり、全米の実習生が集ったのですが、2回目の研修はカリフォルニア州フレズノのUCフレズノで行われました。

近隣の農場見学も研修プログラムにあり、IFAAの責任者は何と私に農場見学での通訳を命じたのです。

要するに毎月英語でレポートを提出していた私は英語ができるとIFAAは判断したのです。絶体絶命。

そもそも英語はSpeakingよりもListeningが圧倒的に難しいというのが私の持論です。

Speakingは自分のイニシアティブですが、Listeningは相手のイニシアティブだからです。

通訳を命じられ窮地に立った私は必死に考えました。

そこで自分から農場の人間に質問し、その回答を実習生たちに伝えるといった作戦を取ることにしたのです。

例えば「(私)How many people work here?(ここでは何人の人たちが働いていますか?)」「(農場の人間)About 250.(大体250人ぐらいかな。)」「(私から実習生に向かって)皆さん、ここでは約250人が働いているそうです。」といった具合です。

そうして何とか乗り切ったのですが、こちらから質問していく方法は、英語力が未熟である場合の常套手段であることが後にわかりました。

一年の実習期間はあっという間に終わりを迎え、まだアメリカにいたいという気持ちに後ろ髪をひかれつつ、帰国の日を迎えたのです。

少なくとも英語でコミュニケーションを取ることに躊躇しない自分がそこにいました。今思えば英語を実際に使うことがアクティブラーニングの実践だったのです。

オプネット英語学院の設立

最終学年を終え就職した会社は農業とは全く関係のない、私の故郷、静岡県磐田市に在る「天寶」という会社でした。

社長である高木信夫氏との出会いが入社のきっかけです。節句人形、結納品、ブライダル産業、旅行業と多岐に渡った事業を展開していましたが、入社から4年程経った頃、何と英会話学校を設立することになりました。

高木社長は大学時代に半年ほどアメリカを旅した経験があり、英語を話すことも好きで、当時力を入れていたブライダル産業と英会話ビジネスをリンクさせようとの考えでした。

「楽しく、気軽に英会話」をキャッチフレイズに、主にヤングアダルトを集客しようとしたのです。

1988年オプネット英語学院の誕生です。

全く英語教育のノウハウがない中、アメリカ人男性一人と、英語ができる日本人女性一人を雇用し、書店で購入したESLのテキストを教材にスタートしたオプネットでしたが、徐々に生徒の人数も増えていき、気付くと大人の生徒の他、子どもも在籍するようになっていました。

大人を対象にした英会話はまだしも、子どもに対しどのように英語を教えるのだろうと、当時直接の担当者ではなかった私は懐疑的でした。

案の定、外国人講師も日本人スタッフも行き詰まってしまったのですが、教授法もカリキュラムもないのですから当然の結果です。

困った高木社長は驚くことに、オプネットの立て直し及び子どもを対象にした英語教育の確立を私に求めたのです。

mpi松香フォニックスとの出会い

大人と異なり、子どもを対象にした英語教育は道筋をしっかり立て、時には足元を照らし、時には行く末を示すことが大切であると私は考えました。

しかし英語教育を学んできたわけではない私には、その具体的な方法は見当もつきません。

限られた時間での対応を迫られた私は、自分にとっての英語教育における師匠を求めることとしました。

全国東奔西走して我が師との出会いを求めた結果、出会ったのが松香フォニックス研究所(現 株式会社mpi松香フォニックス)代表の松香洋子先生です。1991年のことでした。

当時は小田急線の玉川学園前に松香フォニックス研究所はあり、そこに私は洋子先生を訪ねました。

英語教育に関して全く無知であった私が、2時間程の時間で洋子先生と何を話したのか記憶にはありませんが、とにかく洋子先生のお考えがとても本質的であるとの印象が強く、この方こそ我が師と心に決めたのでした。

私はオプネットでの子どもの生徒の入校を一旦全て休止し、半年ほどの時間を掛けて松香フォニックスの教授法、カリキュラム、教材を学び準備を進めることにしました。

子どもたちに英語を指導することは闇雲ではなく、科学的な根拠に基づいているのだと、松香フォニックスの英語教育に出会って実感しました。

そして満を持して新年度での再スタートを切ると、入校する子供たちは急速に増えていき、年を追うごとに倍々ゲームの様子で、気付くと生徒数は10年ほどで1000名規模になっていました。

磐田、浜松、掛川、袋井を拠点に5教室での運営へと拡大が進み、開校時に目指した大人の英会話教室ではなく、幼児、小学生、中学生そして高校生を対象とした英語教育機関へと変貌を遂げたのです。

オプネットとmpiでの2足の草鞋

その後様々な変遷をたどりながらオプネットの英語教育は充実していきましたが、次の大きな節目は2004年のことでした。

ちょうどmpi(mpi松香フォニックスの略称)が東京都渋谷区代々木に移転した年でした。

オプネットはmpiとの連携により英語教育事業を展開してきましたが、更なる連携を強化するためにmpiによる研修を徹底的に取り入れ、mpiのパートナー校になったのです。

英語教育改革の波が押し寄せる時代に備えるためでした。

2010年には天寶から独立、株式会社オプネットの代表取締役に就任して経営の充実を図りました。

そして経営基盤の強化と後継者の育成を目的に、2016年学習塾を経営する2つの会社と合併し、株式会社ライトハウスエデュケーションを設立。

オプネットは新な経営環境のなかで運営していくことになりました。

会社合併を進める最中の2015年、mpiの松香洋子先生お及び竹村社長からの要請で、私は週の半分をオプネット、もう半分を上京してmpiの仕事をすることになりました。

mpiが大阪府と共同で開発した小学校現場で活用する英語教材「小学校英語SWITCH ON!」を全国に普及させることが私に課せられた使命でした。

もちろんSWITCH ON!の普及のみならず、mpiは全国の教育委員会、民間の英語教育機関から広く支持されていますので、全国各地に出向き、研修やコンサルティング業務を行いました。

その業務を通じて教育改革で求められるこれからの英語教育について知ることができたことは私にとって大きな収穫でした。

新たな英語教育のイメージ

オプネットとmpiの二足の草鞋を履いて3年が経ち、2018年4月に私はmpiの仕事に専従するため、長年自らが手塩にかけたオプネットを去り、ライトハウスエデュケーションの経営陣にオプネットを任せることになりました。

そしてmpiの教育事業部本部長に就任した私でしたが、2足の草鞋の3年間とは異なり、営業活動の他、内部統制が主な業務でした。

子どもの英語教育の現場に慣れ親しんできた私にとって、直接指導に携われないことに対して、このままで良いのかと自問自答の日々でした。

そんな折、mpiで開発及び普及に関わった「mpi英語プログラム」との出会いは、新たな英語教育の可能性を私に抱かせてくれました。

オプネットのように教室運営をしていると、レッスンでは指導者はどうしてもコミュニケーション活動としてのアウトプットを求めます。

アウトプットの活動をするには但し自宅でCD等を聞く充分なインプットが必要です。

そこで自宅でのインプットを期待して宿題を出すわけですが、2割が熱心にインプットする、6割がどっちつかず、2割が全く聞いてこないのが実情です。

レッスンに参加する時点で、8割の生徒は充分なインプットなしの状態でアウトプットの活動に臨むのです。

年齢が低いうちは何とかごまかしながらできるのですが、年齢が上がるにつれて対応ができなくなってきます。

その結果、高学年になって、何年も英語を学んできたのに英語が身についていないなどという残念な例が生まれるのです。

「mpi英語プログラム」はインプットを重視しeラーニングのプログラムとして開発され、子どもたちへの豊富で良質な英語のインプットを実現することが可能です。

私は「mpi英語プログラム」を活用して、インプット不足の課題を解消する新たな英語教室をイメージしました。

この新しい英語教育の展開をmpiに提案しましたが、出版社として教材の開発、販売を主な生業としているmpi自体が、教室展開をすることには無理があったようです。

おうちで英語.comの船出

私は2020年3月末にてmpiを辞する決意をしました。

そして5月末に株式会社TAK(Total Active Learning for Kids)を設立し、オプネット英語学院の運営、mpiでの勤務で得たノウハウを存分に活かし、新たな時代の英語教育の構築による、自らの英語教育の集大成を目指すことにいたしました。

着目する課題は大きく2つ。

1つ目は前述でも触れたように、多くの英語教室では子どもたちに充分なインプットが無い状況でアウトプットを求めてしまうが故に、満足できる学習成果を挙げることができません。

如何にして豊富な英語のインプットを実現し、効果的にアウトプットへと導くことができるか。

2つ目は英語教室等への送迎や、立地条件等により教室へ通うことに無理がある子どもたちへの自宅における学習機会の提供。

しかも期せずして世の中ではコロナ禍で学校の休業他、外出自粛が求められました。仕事の仕方、学び方は今後大きく変わるでしょう。

株式会社TAKの提供する英語教育プログラム「おうちで英語.com」は、「mpi英語プログラム」によるeラーニングによるインプットと、オンライン・レッスンによるアウトプット機会を提供することで2つの課題を解決します。

「mpi英語プログラム」であれば、PCやタブレット上で子どもたちが自立して学べ、確実にインプットができます。

その学習効果は教室に通う場合と比べて同等もしくはそれ以上であると言えるでしょう。

しかも教室に通う必要がなく自宅で学べるのですから、送迎ができない、立地上英語教室に通えない等の課題も解決してくれます。

また通信講座のような一方通行ではなくオンラインでのレッスンを提供することで子どもたちの学習をサポートし、eラーニングで獲得した英語のインプットを土台にしてアウトプットの機会を提供し、より深い学びを提供することができます。

英語教室、通信講座以上の学びを提供するおうちで英語.comは2020年秋に船出いたします。

グローバル社会に生きる

おうちで英語.comの1st Stageでは、英語4技能の素地を養い、自立した学習者としての確固たる立ち位置を確保します。

その先のステージでは、多読、多書、プレゼンテーション、ディベート等のアクティブラーニングのプログラムを提供し、英語のできる、世界に通じる子どもたちへと導いていきます。

英語を学ぶことは、言語の習得にとどまりません。英語はグローバル社会において世界の共通語として位置づけられています。

従って英語を学ぶことは世界を学ぶことに繋がります。世界には多様な文化、価値観が存在します。多様な文化、価値観を知り、理解し、受け入れていく力こそ、今後最も大切です。

「グローバル・スタンダード」という言葉があります。

文字通りグローバル社会で生きていくための世界標準です。

しかしその世界標準は、しばしば日本標準と異なることもあります。

そもそも日本はほとんど単一民族に近く、島国という環境で2000年の歴史を有する世界にも類を見ない国です。

日本には多くの豊かでユニークな文化があります。それは日本人にとって大いに誇るべきことです。

「世界標準」と「日本標準」どちらが正しいなどとは比較する必要はありません。

2つのスタンダードを適時適応させていくことが大切です。

相手を理解することが大切であると同時に、自身を理解してもらう努力も必要でしょう。

相互理解にはコミュニケーションが不可欠です。英語はコミュニケーションに対して積極的な言語であり、グローバル社会における世界の共通語です。

また言語としてだけではなく、英語を学ぶことはコミュニケーション力の向上につながります。

英語を学ぶことで子どもたちは未来における「限りない可能性」を見つけることでしょう。

そして世界中で多文化共生を実現するためには「真に豊かな心」が必要です。

私は英語教育を通じて子どもたちに「限りない可能性と、真に豊かな心」を伝えていきたいと願っています。

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